2013年3月末日をもって32年間勤めた日本医科大学血液内科を退職しました。長い間仕事の場を与えてくれた日本医科大学とその間私を支え続けてくれた血液内科の先生たち、看護師さんをはじめとするco-medicalのスタッフ達に改めて感謝します。野村名誉教授、故厨岩手医科大学教授と3人で始めた血液内科が現在のように押しも押されもしない立派な血液内科に育ってくれて感無量で何も言うことはありません。この長い道程の血液内科全員の努力と精進が積もり積もって現在の血液内科の実力を持つに至ったわけで、現在の血液内科の先生達はそのことに大きな誇りと確信を持ってもらいたいと思います。私個人にとってはもっとあれもやりたかった、これもやりたかったという事が無いわけではありませんが、大学の仕事、学会の仕事、公的な仕事などで一時も退屈を感じない生活を送り続けられたという事は幸せであったと言うべきでしょう。
ところで、私は今まで多くの様々な会合でのスピーチで常に思うことを正直に、つまり言いたいことを言ってきましたが(時には社会情勢や政治情勢に対する批判めいたことまで)、私が仏教と武士道が好きであることも何度も話してきましたので、そのことで変な人だ、と思われているかもしれません。でも私はこの二つを大変大事に思っており、少なくとも今日の日本(あるいは日本人)の精神風土的退歩、社会性喪失から這い上がるには日本人の精神的基盤として、また日本の伝統文化の底にしっかりと根付いていたはずの仏教と武士道の考え方を再認識することが大変重要だと思っています。ただし、私が大事だと思っていることは日本人の精神文化、伝統文化の良さをもう一度思い出し、大切にすべきだということであり、単なる復古主義、民族主義、nationalismなどでは決してありません。
西洋近代思想で謂うところの自我とは個人主義であり他人との間に明確な境界のある個人を想定しており、考え方は非常に分析的・論理的です。一方、仏教では他人および自分を取り巻く環境から切り離された自己というものはあり得ず、自分がこの世に生を受けているのは多くの様々な人間や要素のおかげであり(私が血液内科での仕事を続けてこられたのも私が関わった周りの全ての人達のおかげです)、大げさに言えば全ての宇宙の万物との繋がりの中で生きており、自分一人で生きている、自分一人の命、などという言い方・考え方はしません。また、「色即是空」で有名な「空」も、全てのものは他者との繋がりの中で現れるのであり、それのみで起こっているものは何もない、それだけでいつまでもあるようなものは何もない(諸行無常)、という意味を表しています。一見ばらばらに分離して存在しているように見えるものも、よく見ると繋がりの中である一定期間現れて消えていくもので(人の命も)、その生滅は果てしない繋がり全体(全宇宙)の中で起こっているものです。全てのものを分けてばらばらに見る、自分と自分でないものを分けて自分に拘るような考え方はしません。宇宙、地球、人類、他者と自分は本当は一体だということが分かれば(実感できれば)「自分でもある他者」、「自分でもある社会」、「自分でもある他の国や民族」、そして重要な「自分でもある生態系」などを無視したり、否定したり、破壊したりすることは出来ないはずです。この考え方は人類レベルでも民族レベルでも国レベルでも、そして社会レベルでも近代社会の生み出した深刻な諸問題を解決する基礎となり得ると思います。仏教とは死の宗教ではありません。仏教は人の生き方を示すものであり、その中に本質があります。
「悟りといふことは如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのはまちがひで、悟りといふことは如何なる場合にも平気で生きていることであった。(正岡子規)」。
武士道を一言で表す言葉に佐賀鍋島藩・山本常朝が著した「葉隠」の有名な言葉「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」があり、この一言を持って武士道とはおどろおどろしき死狂いの狂気と敬遠される誤解がありますが、実は「葉隠」は当時の武士の生の哲学とも云うべき道徳書です。本来武士道が尊ぶ徳目には、恥、名誉、惻隠の情、礼儀、義、克己、誠実、卑怯を憎む心、自然崇拝、物のあはれ、感性、無常観、禅、などがあります。前半の徳目は、今日の日本の社会での人間関係を見るにつけ、子供社会でも大人社会でも欠けていると感じる人は多いのではないでしょうか。これらの徳目を皆が持っていたらこれほど殺伐とした今の社会にはなっていないのでは、と思わされてしまいます。後半の徳目は、自然崇拝、物のあはれ、感性、など古代からの日本人が持っていた、万物に神を感じ崇拝をするという民俗信仰である神道・神社を大切にする心から出た物であり、無常観、禅はもう一つの日本の精神文化の基礎となり神仏習合という日本独自の文化を醸し出してきた仏教の考え方を大事にしているものです。武士道も仏教とともに今日の日本が再認識すべき生き方であると考えています。
「かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂(吉田松陰)」